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思い出は風の中に (七海から投稿)
by shige on 12月.06, 2010, under 05 バイク乗り達の詩(投稿)
まるでヒステリーをおこした女のよう2サイクルの甲高い咆哮が周りの建物を震わせ車体は天に向かって立ち上がろうとする。
交差点手前では2段、3段とギヤを落とし必要以上に回転が上がったじゃじゃ馬が嘶きを発する。
昨夜の強風にさらわれた木の葉が道いっぱいに広がり、また違う風に踊らされている
まるで木枯らしの精のようだ。
今頃は何をしているのだろう。
あの子に逢いたい・・いや贅沢な・・いや迷惑な話だ・・やめとけ。
せめて彼女が住んでいるあの街へなら・・
「お前はなんて女々しい奴なんだ」
そんな声が爆音と北風の中に聞こえてきた。
それはシャボン玉でも扱うよう付き合い方だった惚れたがゆえか
キスしか出来なかったあの子
最終的に「優しすぎるよ」彼女の涙をじっと見つめながらそんなふられかたをしたっけ。
それなりに女とのいくつかの夜を過ごし、快楽をあたえ気の利いた甘い言葉の一つも囁けると自負していた。
それなのに茶番な話だ。
「調子にのるな」
夢は蜃気楼のように遠ざかり目の前の現実には伸びきったカップラーメンと食べかけの冷えた飯がテーブルに並んでた。
取巻きの人間は同じ二輪を駆るも空気が合わない奴ばかりで、すれ違うのも嫌になりバイクに乗ることに遠ざかっていた。
シトシトと降る雨の午後一人ベッドにもたれながらバイク雑誌に写る奴らを眺めていた。
テーブルの上にギラギラとした割ったガラスを敷き危険な腕相撲をする男達
「ヘーぇこんなバイク乗りもいるのか」ふと思ったりしていた。
そんな屈折と退屈の中であの子だけが温もりであり光だった。
もう直ぐ街に着く
こんな田舎町だ街並みなど変わるはずもなく自動販売機でコーヒーをだらしなく口に含んだ。
逢えるはずもないのに胸の鼓動が止まらない意識すると余計に回転が上がってゆく感じだ。
どうしても彼女の事が知りたくなり公衆電話に手を掛けたダイヤルを回す勇気もなくガシャンと受話器を置いた。
後悔を背に湿っぽい排気音と共に帰路についた。
随分と経ったころ、俺の名前を呼ぶ馴れ馴れしい男の声がした。
「ほんと久しぶりっすねぇ!」
相変わらずノリが軽く暑っちぃ奴だ。
コイツは路線は違ったがバイク乗り・・いや純粋な悪党だ。
女をナンパし食事をご馳走すると言いながらコンビニ弁当を投げ与え夜に至ってしまうような奴だった。
だが非常に純粋なところもあり妙なところで気が合った後輩だ。
そんな奴から彼女の事が口にでた。
現在は酒もタバコもやらない男と家庭を築き、もう直ぐ3人目が生まれるという
なぜコイツがこんなにも彼女の事に詳しいのか?実はコイツ・・彼女のいとこなのだ。
心無い振りをし「あいつ幸せにやっているのか?」と聞くと「うん、だね。」とだけ返事をした。
そうか幸せならいいや。首筋をやさしい風が過ぎて行く
風がまた「女々しい奴め」と笑った。
END
apec警備
by shige on 11月.08, 2010, under 雑記
うちの前もAPECに伴う警備。

上から見ると担当は愛知県警なのね。

上空はもちろんヘリがぐるぐる。

俺が包囲されているわけではない(笑)
831年目へ
by shige on 10月.08, 2010, under 雑記
平安時代も終わろうとしている治承4年=1180年
源平盛衰記や平家物語、吾妻鏡などにあるように源頼朝は石橋山の戦いに敗れ、真鶴から安房国へと逃げた。
安房には旧暦八月二十九日に渡った。
今日は旧暦で九月一日(朔日)。
この日は私にとってとても大切な日。
館山市立神余小学校のサイトによると、安房誌には
「治承4年9月朔日、頼朝公島崎より将に猟島に至らんとて、金丸郷大高尾里を過る。農夫六平なる者あり。頼朝暫く其家に憩ふ。筵 を設けんと欲するに畳なし、飯を煮んと欲するに釜なし。因って藁筵を座とし、粮米を炊ぐに鍋を用ふ。六平を嚮導となす。此時頼朝自ら白羽の矢を地上に植て曰く、我此地を汝に賜うと。後此所を中間矢挿所といふ。」
とある。
また、
中の間姓
源頼朝は大高尾の六平宅に一宿した。頼朝は、この礼になにかしてやりたいというと、六平は、特に希望はないので「名字をください」と申し出た。頼朝が食事をした部屋が中の間であったので「以後は中の間六平といえ」といわれた。その後、中の間姓を継承してきたが、明治時代に役場へ氏名を届け出たところ、「の」を記入しなかったので、「中間」姓になったという。
http://www.city.tateyama.chiba.jp/school/tiiki-1/tiiki-annnai/tiikiziman.html
私の高祖父、中間三之助。曾祖父、中間竹松の代に、大高尾(おおだこ)より海に近い、安房郡富崎村や神戸村大神宮中心に住むようになった。
それから戦争だの戦後の混乱期だの諸々あって安房(現、館山市)に戻ることないままに、曾祖父も亡くなり、安房とは縁が遠くなってしまった。
富崎村(現、布良、相浜)や大神宮の親戚とは細く縁は続いているものの、大高尾のそもそもの先祖の地にいまもある中間家とはすっかり縁が切れてしまっている。
それでも、我が家の屋号は未だに「おおだこや」。
そして、名字も「中間」で、本当は「中の間」という名字であると言うことも受け継いでいる。
今日、旧暦の九月一日は、頼朝に名字をもらってから830年。
明日から、831年目を踏み出したいと思います。
