暗闇と白い天井-2

暗闇と白い天井-2   1993

1989/10/2?(多分事故から五日から一週間経過した頃)

 目が覚める。
  今までとは違って、比較的すっきりと目を覚ます。口や鼻から入っているチューブが抜けて声が出るようになった。
  看護婦さんが「自宅にでも電話してみる?」と声をかけてくれる。電話番号を告げる。受話器を顔に当ててもらい電話の呼び出し音を聞く。祖母が電話に出た。自分では大丈夫なのかどうかも分からないけど、祖母には大丈夫だと告げる。祖母は泣いているようだ。泣きながら僕のために絵を作ってくれていると言った。50号の大きさの絵。 「お婆ちゃん子」で育った僕は、祖母を泣かすことが一番つらい。
  次に彼女に電話をかける。彼女も泣きながら心配そうな声を出している。彼女にも訳が分からぬまま大丈夫だと告げる。

 看護婦さんは2時間毎にやってきて身体の向きを交換をする。身体が動かない、頭に何か金属が刺さって身体と頭が固定されているから、一度左を向かせてもらったら左向きのまま。一度右を向かせてもらったら右向きのまま。目を動かして見える範囲だけの世界。

 看護婦さんがやってきたときに何故自分で動けないのかを聞いてみる。看護婦さんは言葉をつまらせる。しばらくしてドクターがやってくる。ドクターに何故自分で動けないか聞いてみる。ドクターはこれから先、ずっと自分の足で歩けないことを告げる。その時は不思議とショックはなかった。性機能についても聞く。勃起はするが、射精は難しいと言われた。そして、これから第二の人生のためにリハビリをしていくことを告げられた。

 どの事柄についても不思議と何のショックはなかった。というよりも、自分の置かれた状況をまるで理解できなかっただけなのだろう。

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 救命救急センターにいると気が変になる。看護婦さんはいつも走り回っている。ドクターも走り回る。一日に何度も救急車がサイレンを鳴らして病院のすぐ外に入ってくる。救急車が来るたびに辺りがせわしくなる。看護婦さんが大きい声で「シンナー吸引中に煙草の火に引火、全身火傷した患者さんが運ばれてきます!」「交通事故、全身打撲、内臓も破裂している模様」そのような声が日に何度も聞こえてくる。

救急車でここ救命救急センターに運ばれて来て、間もなく顔に布を被せられて運ばれいく人を大勢見た。直接見えなくてもすぐに分かる。空気が変わるのだから。ドクターや看護婦さんの様子、呼ばれた家族の泣く様子で、ああ、だめだったんだなぁとすぐに分かる。
  ほとんどの場合、つい1時間ほど前は元気だったはずだ。ほとんどの人がまさか自分がこんなところに運ばれてくるなんて思っても見なかったはずだ。そして、場合によってはあっけなく死んでいってしまうなんて…。
隣のベッドに寝ていた中年は急に容態が悪化する。家族が呼ばれて家族は泣き叫ぶ。

 生と死をこの目で見る。自分が生きていることの実感はない。手も足も動かない。身体中を動かすことが出来ずただ寝ているだけ。生きていて良かったとも思わない。しかし同時に死への恐怖も感じない。

 容態が少しは良くなったのか、看護助手さんがベッドごと外に連れていってくれた。外の日差しはまだ眩しく暖かい。今はいつなのか聞いてみる。事故に遭ってから今まで日にちも時間も分からなかった。事故に遭ったのはいつの日だっただろうか。今日で何日が経過したのだろうか。
看護助手は雑多な話をして気を紛らわせてくれた。空を眺めてしばしの時間を過ごす。

 母が見舞いに来てくれた。笑顔で見てくれている。しばしの安心を得るが救命救急センターでの面会は数分間だけ。ほんの5分間ほど。どんな言葉を交わしたか覚えていない。ただ笑顔でいてくれただけ。

 夜中でも明るい部屋には朝も昼も夜もない。24時間絶え間なくただ刻み続ける器械の音。ドクターや看護婦さんの声と、動く音。泣く者、叫ぶ者。
昼は検査の連続でまだ気が紛れる。レントゲンやCT撮りに廊下へ出て、違う部屋まで行くのだから。でも夜になると繰り返す器械の音に気が狂う自分。

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1989年11月??日

 容態が安定した為、一般病棟へ移ることになった。病棟より看護婦さんが迎えに来る。笑顔が可愛い看護婦さん。名字は高田さん。
救命救急センターから一般の病棟に運ばれている間、高田さんといろいろと話をする。これから入る病棟は難病・混合病棟と言うこと。その個室に入るということ。

 個室へ入る。ナースステーションのすぐ向かいだ。大勢の看護婦さんが集まり身体を動かさないようにそっとベッドに移す。
 
  早々に一般病棟を受け持つドクターが来て、怪我の詳細を教えてくれた。頸椎を激しく折っていて脊髄の首の部分を大きく損傷したこと。車に轢かれたのか内臓を強く打ち直腸を破裂していること。同じく骨盤がパックリ割れていること。右肘を脱臼骨折していること。右手首を粉砕していること・・・。

 頚髄損傷……ケーソン? 直腸破裂をしているから人工肛門を造設している? 同じく直腸破裂により、鼠蹊部(そけいぶ=股の付け根)に手首まですっぽり入るほどの穴ができている…?。

 意味不明の言葉をたくさん聞かされて、次に身体に付いている機器や金具の説明もしてくれた。頭が動かないのは、首の骨を折っているのでその骨を固定させるために、ハローベストというのを装着しているから。頭蓋骨から胸まで固定されている。こめかみの辺りをボルトが骨まで刺さり、胸のベストの部分までアームで固定されている。ベストとはいえ、鎧のような堅さがあって首は微動だにしないようになっている。骨盤はパックリ割れたのを固定されるために、大きな金具で左右をつなげている。まるで神社の鳥居のような格好の金具らしい。

 ドクターが退室してからしばらくしたらリハビリの先生が来る。男の先生と女の先生と入れ違いにやってきた。男の先生は理学療法士。体格のしっかりした大柄な先生。しかし、理学療法士?なんじゃそりゃ? 続いてやってきたのが作業療法士。こちらは女の先生。やはり作業療法士、なんじゃそりゃ? リハビリすると動けるようになるのか? 何がなんだか分からない。 どちらも感じのいい先生。

 夕方母親が見舞いにやってきた。事故に遭って初めてゆっくりと会う。努めて明るく振る舞っているのか、母は明るかった。
事故のことを聞く。どうやら僕は飲酒運転の車に突っ込まれて、逗子から病院をいくつもたらい回しにされて、事故現場とはずいぶん離れているこの大きな大学病院にやってきたそうだ。後ろに乗っていた小林は骨盤のちょっとした骨折と、腕の骨折で済んだとのこと。数カ月で職場復帰もできる程度の怪我だそうだ。少し安心した。

 白い天井と、うるさい音。忙しなく動く医者や看護婦さんだけの世界から、知った顔のある世界になった。また、今日より食事が始まるそうだ。しかし点滴は何本も刺さったままだ。

 食事が来た。手さえ動かないので食べさせてもらう。何故かストローを出す。食事と言っても流動食のようだ。一分にも満たないお湯同然の粥に、ほんの少し塩気があるだけの味噌汁。なんだか分からない汁だけのおかず。これのどこが食事なんだ?看護婦さんは少しづつかたちのあるものになっていくからしばらく我慢してねと言った。

 食事が終わり母が帰ってしまう。そういえば、母親と話をしたのはどのくらいぶりか?
一緒に住んでいてももう何年も顔を合わせていなかった気がする。そうだ、毎朝、廊下ですれ違うくらいなものだった。家を出るのは僕の方が少し後で、家に帰るのは僕の方が圧倒的に遅かったんだっけ。帰る頃には安心から不安へと変わる。

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