暗闇と白い天井-4

暗闇と白い天井-4   1993

 一日中ベッドに横たわりながら時間が過ぎるのを待つ。生きることに精一杯だったとは思わない。生の実感とも、死の恐怖とも違う。毎日は時間の消費との闘いだ。時間が長い。

 回診、検査、リハビリ、食事。あとはただ時間が過ぎるのを待つだけ。白い天井を眺める。天井のパネルには無数の穴が開いている。今日もその穴の数を数えていく。次は点滴の落ちる数を数える。一滴、二滴、三滴・・・千、五千、一万も数えると次の点滴か。影が長くなるのをじっと見ている。あの窓の手前から始まって、今はあの窓枠を越えた。影が次の窓枠にさしかかる頃には母が見舞いに来てくれるだろうか…。

 自分がどういう状況なのか把握できない。ドクターに聞けば傷病の名前を教えてくれる。だけどそれ以上はよく分からない。看護婦さんに聞いても、リハの先生に聞いても歯切れの悪い返答が帰ってくる。その答えは一様に「これからリハビリをして新しい生活を送りましょう」と言うだけ。普通なら今後のことを全て、事細かに聞くのだろうけど、あの時の精神状態では何を言われても理解できなかった。自分の状況を落胆することさえも、楽観することさえもできなかった。

 思うことは今日が終わってくれることを待つだけ。

 食事もだいぶ形のあるものになって、口に入れて気持ち悪くならないようなら食べて良いという食事制限の解除になった。リハビリは相変わらず足の股関節を固まらないようにPTが動かし、OTが少しだけ動く左腕の機能を更に延ばしてやるように筋トレをするくらいなもの。それが僕に出きる現在の最大のリハのメニューなのか。

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 ある日、警察官がやってきた。事情聴取をしたいというのだ。かなり歳のいっている警察官の問いに僕は「記憶がないです」と答えることしかできない。逗子のデニーズを出て、すぐの信号に止まってから、この病院の救命救急センターで目を覚ますまでの記憶は全くない。

 警察官が事故の概要を説明してくれた。10月23日、午後11時55分頃、僕は逗子から鎌倉に向かう旧湘南道路の、逗子市と鎌倉市の市境にあるトンネルを走行中に、トンネル出口付近の下りの右カーブで事故に遭ったという事。
対向車の運転手は免許を取って車を購入したばかりで、その日は酒を飲んだ帰り。カーブを曲がりきれずに蛇行運転をしながらトンネル内に入り、僕が走っていた車線に飛び込み、僕と正面衝突した。
僕の後ろを走っていた車の目撃証言では、僕は制限速度で走り、加害者はかなり速度を出していたということや、避ける余裕はどこにもなかったということを言っていたらしい。
  確かにあそこはブラインドコーナーになっていて、かなりな速度で対向車線に飛び込まれたら逃げることは出来ないだろう…。それと、正面衝突の後に、後続車にひかれたことも教えてくれた。病院に来てくれた警察官が、事故現場に駆けつけたときに僕はヘルメットの中で「肩が痛い、肩が痛い」「息が苦しい。ヘルメットを脱がしてくれ」とひたすら繰り返し言っていたという。

 しかし、僕が制限速度で走っていたなんて嘘っぽい話だなぁとも思う。あの道はいつも相当の速度で走る道。もしかしたら衝突をした後にひいた後続車が、自分に責任がかからないようにか、僕に有利な証言をしてくれたのか? それとも本当にゆっくり走っていたのか? 確かにあの夜は適度に空気が冷えて、気持ちのいい夜だったことは覚えている。たまにゆっくりと走ったから気が抜けていたのか?

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 毎日が同じことの繰り返し。配膳されてから1時間もした頃に看護婦さんがやってきて、食事を口に運んでくれる。全介助の患者はどうしても後に回される。おまけに難病や重傷の患者ばかりのこの病棟では尚更だ。冷え切った食事。でも「朝はパン食に替えられるよ」という看護婦さんの声に次からはパンに替えてもらう。

 午前中の回診。傷口を消毒する。お尻には褥瘡(じょくそう)がある。後で知ったのだが褥創をつくる病院は看護体制がなっていないと言われるらしい。僕の場合は頸椎を四番から四・五・六・七と五椎間折り、骨盤も真っ二つに折れ、直腸も破裂しているので、身体の体制を変えるなんてとても出きる状態ではなかったらしい。褥瘡とは床ずれの酷いやつ。それが原因で死に至らしめることだってある。

 今日の検査の予定を聞かされて、昼を迎える。午後からは検査があり、夕方にはリハの先生が病室にやってきて、終わる頃に母が見舞いに来る。
老けたなぁ。こんなに老けていたかなぁと母を見て思う。母に夕飯を食べさせてもらい、夜を迎える。夜になっても眠れない。夕闇とともに不安が襲う。

 母からいろいろと話しを聞かされる。事故の連絡が入ったあと、富田さんが方方に電話をかけて輸血に備えてくれたんだよ。とか、傷が落ち着いたらリハ専門病院に転院するよ。とか、僕が事故の直前に設計した機器がとても高く評価されて、今後作られるプラントはすべてその機器が使われることになったんだよ。とか。

 事故に遭ってから2ヶ月を近くが経つ頃、個室より大部屋に移される。容態もだいぶ安定して、一人より何人かいた方が気がまぎれるだろうとの配慮からだそうだ。

 大部屋といっても重度の事故や病気の患者ばかり。病気により長い入院生活を送っているうちに痴呆になった老人。交通事故で脳挫傷を負い、奇跡的に回復した若者。なにやら進行性で、病気の名前すら解らず、日に日に喋れなく、何もできなくなってゆく、普通だったら働き盛りの男性。そんな人たちと同じ部屋で過ごす生活が始まった。

 数日経ってベッドを30度まで起こすことを許された。たった30度でも気持ちが悪くなり、意識も遠のく。ずっと横になった状態が続いていたことと、麻痺してしまったところは血管が収縮しないので、血液が上に戻ってこないらしい。何度かベッドを起こしたり寝かしたりを繰り返しているうちにやっと慣れてきた。初めて向かいの人の顔を見る。たった30度とはいっても、自分の向かいを見るのは事故後はじめてのことだ。とても嬉しかった。
  初めて少し体を起こした状態で食事をする。

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 折れた首を固定するハローベストが鬱陶しくて仕方ない。いつになったら取れるのか。ドクターは6週間と言っていた。6週間になろうという頃に、毎日しつこいほどに「まだ取れないのか?」と聞いた。しかし、骨の付きが良くない。首の骨も、骨盤の骨も、右手首や右肘も。
毎日のように「まだ取れないのか?」と聞いてそれが既に8週間経った。頭上に鉄のアーチがあり、耳の近くの頭蓋骨にはボルトが埋まり、鎧のような堅いベストにステーで固定されている首は、正面を向いたまま微動だにできない。ベッド上で体が上を向いているときは上、左を向いているときは左、右を向いているときは右だけが僕の視界。

 物理的に固定されて動かせない苦痛と、激しい痒み。看護婦さんは割とこまめに体を拭いてくれるけど、鎧のようなベストの中には手が入らない。頭はあまりにも痒くて仕方がないので、髪の毛をバリカンで剃ってもらう。タオルでごしごし拭いてもらうがいっこうに痒みは治まらない。

 骨盤を固定する金具も鬱陶しい。このおかげでベッド上で座位を取ることが出来ない。許されるのは30度の角度まで。

 固定後9週間を過ぎても首と胴体を繋いでいる金具は外してくれない。相変わらず骨の付きが悪いそうだ。単純に骨折している訳ではなく、細かく砕けるのに近いほどに折ってしまっていること。普通、骨盤から首に骨を移植するらしいのだが、骨盤も骨折している為に骨盤から骨を取れずに、臑(すね)の骨を移植した為に、骨が固まるのに時間がかかっているそうだ。

 もう一度オペをして、首の後方に金具を埋め込むことに決まった。オペはもう懲り懲りだ。しかし僕には選択の余地はない。早々にオペの段取りが組まれ、二日後にはオペすることになる。

 少し出かけた元気だけど、こういうことがあるとまた気力が無くなる。生かされていることを思う時。

 骨盤はだいぶくっついたらしい。骨盤を固定している鳥居のような金具は首のオペの時に取り外してもらえることになった。それだけが救い。

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 呼吸が苦しい。喉が痛い。首が痛い。いつの間にかオペが終わっているようだ。意識の片隅に父や母の顔が映る。 また深い眠りにつく。

 夜中に目を覚ます。首が痛い。激痛が走る。ナースコールさえも押せないので出きる限りの声を出して看護婦さんを呼び痛みを訴える。

 看護婦さんはドクターに連絡を取り、痛み止めの注射を打つ。痛み止めを打っても何の変化もない。痛みはまるで止まらない。看護婦さんに訴えると、またドクターに連絡を取って、もっと強い痛み止めを打つことになった。打って暫くすると意識が遠のいていく。目を閉じているのに周りの風景が映る。それはぐるぐると回って不思議な光景になる。見たこともない光景。意識の中に影が映る。影に襲われる。僕は逃げる。影が追う。僕は逃げる。僕は恐怖の影に追われる。恐怖の影を振り払うように逃げる。

 気が付くと朝が来ている。昨日の夢は何だったのだろうか。肘は変わらずに痛い。また痛み止めを打って貰う。 意識が遠のく。景色に影が映る。影が襲う。僕は逃げる。影は追い続ける。

 恐い、恐い、恐い。 痛み止めをもらうと15分くらいで心地よい眠りに入る。 頭は覚醒し意識はある。 誰かが追う。僕は逃げる。誰が追うのか。 僕はひたすら逃げる。 追われる。 逃げる。 しかし何故か心地よい。 ありもしない影と戯れる。 そう、戯れる。 薬をもらったあとの安心。 影と戯れる。

 薬が切れる。 恐い、恐い、恐い。 実在するものへの恐怖。 現実の世界への恐怖。 鳴り響く音。 看護婦の走る音。 誰かの声。 襲われる。恐い。 消灯台が高くそびえる。 天井の蛍光灯がこちらを睨む。 天井に開く穴に吸い込まれる。 恐い、恐い、恐い。

 痛み止めの注射に依存される状態になる。数日経って痛みも我慢できる程度になったのにもかかわらず痛み止めを貰う。薬が欲しい。あの痛み止めを打ってよ。 闇に浮かぶ幻覚と幻影に支配されるのが心地よい。痛み止めを打って貰った後が唯一の幸せなとき。

 看護婦が僕の状態の変化に気づいて痛み止めの投与が中止される。不安が襲う。気が狂う。痛み止めをくれるように泣き叫ぶ。だが看護婦さんは薬を持ってきてはくれない。気が違う。

 もしも、あのまま痛み止めを打っていたら廃人への道をたどったのだろうか。今考えると恐ろしい。

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