2008-03-30 (日)
「よし」
「よし」
職人はパナマ帽を裏に表にとひっくり返し、各部を確認しながらつぶやく。
裏にひっくり返し、ビン皮には注文主である、横浜の港に程近い処に住む男の名が刺繍されている。
「よし、出来上がりだ」
パナマ帽は職人の手からショップの店長に託され、店長は注文した男にメールを打つ。
…ご注文を頂戴した時期に比べますと随分暖かくなりましたね。
お待たせいたしました。
先日ご注文のこちらの帽子が出来上がりました。
そして店長は厳重に梱包すると、クロネコをイメージキャラクターにしている運送会社に託しました。横浜でパナマ帽を待つ男に届けるために。
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東住吉区にある営業所の入り口にはうたた寝をする黒いにゃー。がいます。
運び込まれる荷物を片目で見てはつまらなそうにニャーと鳴き、またうたた寝をしてしまいます。
「!」
「にゃ?」
黒いにゃー。は何かに気付き、運び込まれた荷物の一つに歩み寄りました。
大きな円柱形の箱の一つ、横浜の男に届けられるパナマ帽に声をかける黒いにゃー。
「どこに行くのにゃ?」
「パナマ帽には旅が似合うにゃ」
黒いにゃー。はそう言うとひょいとトラックに乗り込み、パナマ帽が入っている箱に潜り込みました。そして頭にはパナマ帽を被りました。
黒いにゃー。とパナマ帽の旅の始まりです。
エンジンがかかりトラックは動き出します。高速道路をぐんぐん走り一路東へと向かいます。
荷室の隅では暗闇で瞳を丸くさせた黒いにゃー。がパナマ帽をスッポリと被り、荷扉に姿を写しています。
「似合うにゃ」
ガタン。
トラックが揺れて黒いにゃー。は帽子の丸い箱に転がりました。丸い箱に合わせて身体を丸めています。
高速道路を走るトラックの振動が、黒いにゃー。を眠りへと誘います。
黒いにゃー。は遠いエクアドルに思いを馳せ夢を見ます。キトの石畳の街並みにパナマ帽を被り颯爽と闊歩する黒いにゃー。
そして、遠い昔に栄えたインカ帝国に思いを馳せ夢を見ます。海へと続く段々畑を黒いにゃー。はパナマ帽を被り駆け下ります。
東へ向かったトラックは、黒いにゃー。の目的地を越えて今度は北上を始めました。
しかし、黒いにゃー。は荷室の心地よい振動に包まれて目を覚まさないでいます。
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「寒いにゃ」
荷扉が開き、荷室に冷たい空気が流れ込みました。
黒いにゃー。は帽子の丸い箱を少し開くと、パナマ帽を背中に押しやり、隙間から顔を出しました。
「ここはどこにゃ?」
「ずいぶん寒いところみたいだにゃ」
黒いにゃー。は箱から出ると、パナマ帽を頭に被り、街へ出てみました。
「港街だにゃ」
「美味しそうな匂いがしてくるにゃ」
黒いにゃー。は朝市に並べられる美味しそうな海の幸を一つ口に咥えました。
「美味しいにゃ」
「こらっ!」
「ニャー!」
あらあら、一つ口に咥えたのを見つかってしまいました。
「逃げるにゃ」
「箱に戻るにゃ」
帽子の丸い箱に戻ってくると、何人かの人間が困った顔をしています。
「どうしたにゃ?」
「横浜に昨日届いているはずの荷物が、ここ函館に来てしまい困っているんだ…」
「ニャー!」
「困っても仕方ないにゃ」
「旅にはトラブルも付きものにゃ」
「いろんなことがあるから旅は面白いんだにゃ」
黒いにゃー。は箱に潜り込み、顔を出すと困った顔をしている人間達に言いました。
「そろそろ帰るにゃ」
「遠くに行くことに深い意味なんてないにゃ」
そんな黒いにゃー。に被られているパナマ帽にとっては、横浜の男の「道行き衣」として、一番はじめの旅の記憶が刻まれたところでありました。
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