(16)実感・・・

 ?2001年

実感・・・   こー@アフガニスタン北部ジャボルサラジ

 毎夜、泊まっている宿のベランダから首都カブール方向を見渡す、煙草をくわえながら。
 頭上を飛び交う米軍機。ジェットのうなりはするものの姿は見えない。そして、地上からは花火のように見えるタリバンの対空砲。時折、ズシーンという爆発音が彼方から響く。しかし、砂嵐でクリアには見えない。
 しかし、テレビ中継をみているような気分だった。

 ある日、首都カブールから30キロ北にあるチャリカルという街のバザー(市場)に買い物に行った。ナンとイモばかりの宿の飯にも飽きたので、日本料理を作ろうと考えたのだった。卵を買い、ニラを買い、後はバーナー用のガソリンを買うか、と考えながら雑踏を歩いた。
 その時、数十キロ先の山の方向から「ヒュルルル・・・」という音がした。ロケット砲!?それもタリバン支配地とされる山から。その音は、急速に大きくなり迫ってくる。周囲の買い物客が一斉に頭を抱えて地面に伏せた。僕はすぐに対応出来なかった。長らく戦争から遠ざかっていたから。何とか、彼らと同じように地面に伏せた。砂が口に入った。ジャリッとした感触も気にする余裕はなかった。
 数秒後、「ドーン」という衝撃が地面を通して伝わってきた。頭を少しずつ上げその方向を見やると、百メートル程先から煙が上がっていた。

 第ニ波の攻撃を警戒し、伏せたままの姿勢で数分が経過した。周囲の人たちが立ち上がり始めたのを見て、「これなら大丈夫だ」と判断しカメラを抱え着弾点へ。既にその場所には人垣が出来ていた。人々のざわめき、女の泣き叫ぶ声。人垣を押し分けてみると、そこは先ほどニラを売ってくれた八百屋のオヤジだった。ニコニコと愛想笑いしていた店主のオヤジが横たわっていた。身体に異常はないように見えた。ロケットの破片が頭に突き刺さったという。そして周囲には、数人の怪我人が。「日本人、手伝え」との声で、我に帰りチャーター車のハイラックスの荷台へ怪我人を積み込む。そして病院へ。一枚のシャッターも切れなかった。
 怪我人の搬送も終わり一服していると、「日本人、ちょっと」中年の男が手招きする。そのまま付いて行くと、ある家に連れて行かれた。泥の煉瓦で造られた家。そこは、八百屋のオヤジの家だった。家族と近所の人たちがそろって、オヤジの身体をお湯で清めている最中だった。「日本人、撮ってやってくれ」、家族が言う。家族が両腕でオヤジの身体を抱えて、こちらを凝視した。カメラを構えた。ファインダーの向こうに、彼らの嘆きとあきらめが見えたような気がした。

 「戦争だから仕方ない」、アフガニスタンで良く聞くセリフだ。先日の米軍機の誤爆でも「悲しいけど仕方ない」というセリフを何度も聞いた。
 僕は、ようやく「自分が戦場にいる」ことを実感し始めているのかもしれない。

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