2008-02-17 (日) 21:14
今の横浜の顔は「みなとみらい地区」だったりするのだけど、
一昔前までの横浜の顔と言えば何よりも山下公園。
そして山下公園先に繋留されている氷川丸。そして振り返るとマリンタワー。
毎昼の汽笛の音が聞けなくなってもう一年以上経つのか…。
でもそれもあと少しの辛抱。
桜が散り終えて初夏を迎える頃には氷川丸は再オープンする。
氷川丸の持ち主である日本郵船が、「10行でつづる 氷川丸の思い出」を
募集している。
http://www.nykline.co.jp/rekishi/hikawamaru/memory.htm
氷川丸の思い出か。しょっちゅうしょっちゅう山下公園には行っていたし、
氷川丸を眺め、また中へも入った。
幼稚園に入る頃からはいつも画板、画用紙、鉛筆を持ち氷川丸を描いてた。
おかげで小学生低学年の頃には正確、緻密な描写で絵を描く僕の周囲には
たくさんの人垣が出来るほどだった。
僕にとって一番記憶に強いのはエメラルドグリーンに塗装された氷川丸。
デッサンは得意でも彩色が苦手で、せっかちな小学生の僕は水彩絵の具が
乾くのが待てなくて、次の色を塗っては滲んでしまう。
中学生の頃はマジックでさらさらっと氷川丸のイラストを描いてた。
高校生の頃は色鉛筆でさらさらっとうっすら色を付けた氷川丸の絵を描いてた。
それらの絵はどこへ行ってしまったのだろう。何度かの引越や、
生死を彷徨う大きな事故後の荷物の整理でどこかへ行ってしまった。
でもいいや。
エメラルドグリーンに塗られた氷川丸はずっと記憶の中にあるし、
これからも山下公園に行けば見られるのだし、
そして、きっとまた汽笛の音がいつも聞こえてくるのだろうから。
日本郵船歴史博物館
http://www.nykline.co.jp/rekishi/main.htm
日本郵船氷川丸
http://www.nykline.co.jp/rekishi/hikawamaru/index.htm