暗闇と白い天井-1 1993
1989/9/30日
新しくできたばかりの横浜ベイブリッジを2台のバイクが駆け抜ける。
1台は親友である小林のRGV-γ もう1台は僕が駆るDUCATI。
路肩は車がずらっと駐車している。一番左車線は大渋滞を起こしている。一番右の車線は制限速度を大幅にオーバーした車が流れている。中央車線は渋滞の左車線へ出入りする車、速い流れの右車線へ出入りする車で混乱している。無法地帯になったベイブリッジ上を2台のバイクは大黒P.Aへと向かって駆け抜ける。
ブラジルに持って行くプラントの設計と、四日市に持って行くプラントの設計を同時進行させていて、満足に休みを取れずに友人達と遊ぶ時間が取れてなかった。まだもうしばらく忙しい日々が続きそうだったけど、折角ベイブリッジが出来たのだから、深夜にひとっ走りしようということになってやってきた。
大黒P.Aで短い時間を過ごして帰路に就く。ベイブリッジの上をもう一度渡り、新山下で正面に大洋海底電線を見て、右にアールを取りアクセルを開ける。エンジンが咆哮を上げ、下りを利用して一気に速度を上げる。その横を圧倒的速度差で小林のRGV-γが駆け抜ける。さすが小林。いいチューニングをしている。
ほんの数分間のランデブー走行を楽しみ、途中で「じゃあな」と手を挙げ首都高を分かれていく。
1989/10/21
「このままどこかへ行こう」
休日出勤の彼女を職場近くまで迎えに行き、東京駅で僕はそう言った。
僕はブラジルと四日市への仕事が終わり、久しぶりに長期の休暇を取れた。次の案件との絡みで十日間もの休みが取れた。この休みが終わったらまたプラントの配管設計をし、その後は技術研究所へのオファーもあって、また休みなし生活になりそうだった。
職場への行き帰りは彼女と待ち合わせて通勤していたけど、どこかへ遊びに行く時間もなく、彼女にはさみしい思いをさせていた。
彼女の身体に手を回して、いつもの横須賀線ではなく、地上ホームから止まっていた東海道線に乗り込む。終点の熱海まで行き、さらに遠くへ行く電車に乗り換える。時刻表を見るとどうやら沼津行きが最終のよう。
沼津まで行き、沼津駅で今晩泊まる宿を探す。電話ボックスに置いてある電話帳から何軒かのホテルに電話して、小さなプチホテルに泊まる。
いつもの眠そうな目から、悪戯っ子のような目をして笑う彼女。狭いバスルームに二人でシャワーを浴び、ベッドで身体を重ねる。柔らかな身体を抱いて目尻を下げて微笑む彼女。
霧雨の翌日。バスで沼津港へ行き、船に乗る。戸田行きの船に乗る。海の上も小雨が降っている。傘も差さずにデッキで濡れる。冷たい秋の雨と潮の香りが気持ちがいい。
戸田の寂れたコーヒーショップで暖を取る。二人とも雨に濡れて顔を見合わせる。彼女の笑顔を見ながらコーヒーを飲む。
横浜まで戻り別れ際に彼女が聞く
「明日は?」
「明日はゆっくり休むよ。久しぶりの休みだから」
僕はそう答える。
1989/10/23
「今日、暇?」
「しばらく遊んでいないからたまには遊ぼう」
「じゃあ13時に上永谷で」
小林と上永谷で待ち合わせる。小林は昼に美容院へ髪を切りに行くというので、終わる頃の時間に待ち合わせる。小林とふらふらと一日を過ごすのは久しぶりのことだ。
僕はちょうどオートバイを手放してしまっていたので、地下鉄で上永谷へと向かう。上永谷から歩いて小林の家に向かい、ヘルメットとグローブを借りて、小林のバイクで昼からの一日を過ごす。小林と2ケツするときは僕がライディングをし小林が後ろに乗る。
何かをするという目的もないので関内まで出てCDショップに行ったり、横浜まで出てビブレの一階に入っていたユーノス店へ行き、ユーノスロードスターの見積もりを出してもらった。オートバイを降りるつもりはなかったけど、車も所有してもいいかななんて思っていたところだった。ユーノスロードスターか、逆輸入のニッサントラックか。
日も暮れ今度は湘南の海へ行こうとなった。一度家に寄り、ライディングジャケットを着込む。海岸沿いを軽く流し、小林が自らチューニングしたRGV-γのハンドリングを楽しみ、エンジンのフィーリングを楽しみ、チャンバーからの排気音を楽しむ。
遅めの夕飯を食べるために逗子の海岸脇にあるデニーズに入り、しばらく会っていなかった間の出来事をおもしろおかしく話す。バイクの話、仕事の話、彼女の話…。そろそろ行くかということになり、日付が変わる少し前の時間に伝票を持ってレジへと向かった。
ちょうどレジの所で小僧風の集団とかち合わせになっり、彼らのすぐ後にレジで支払いをして駐車場に向かう。
「イヤだな」
普段だったら彼らのことなど気にもせずすぐさま追い抜いてゆくか、それかすぐ後に続いて走り出して、彼らを煽りながら走ってしまうところだろうけど、その日は何故かやり過ごした。気持ちの良い秋の夜長。視界の中に鬱陶しい連中がいるのが気に障ったのか。星の綺麗な夜に、深まりゆく秋を身体いっぱいに感じてゆっくりと走りたかったのか。
きっとそんな風に思ったのか、暖気を充分にとって、彼らをやり過ごしてから走り出した。デニーズの駐車場を出てすぐの信号で止まり、青に変わるのを待つ。信号が変わってゆっくりと走り出した。
1989/10/2?日
どこか遠くで僕を呼んでいる気がする。何か揺れている気がする。誰かが喋っている気がする。僕はゆっくりとちょっとだけ目を覚ます。誰かの呼び声に、重い瞼をやっとの思いで開くと、ぼやけた光景がうっすらと広がる。たくさんの顔が覗き込んでいるように見えた。その向こうには白い天井だろうか。どうやら寝たままどこかへ移動しているようだ。見える顔は誰の顔だろうか?。たくさんの顔が僕を覗き込み、何かを語りかけていた。
そのときは僕は、自分が事故に遭ったという認識はなかったし、ここがどこだろうという認識もなかった。何の認識もなく、思考が全く止まっている状態でただ重い瞼を開いてはすぐに意識が遠のきまた眠りにつく。
騒々しい音に僕は少しだけ目を覚ます。ただうるさい。うるさくてうるさくて仕方がない。同じ調子で刻む音と、騒々しい音。
ここが病院だと認識するでもなしに病院だと気づく。事故に遭ったと認識するでもなしに事故に遭ったことに気づく。
何かを考えるでもなくに、自分が思考するという行為とはほど遠いところにありながら、まるで寝ている間に刷り込まれたかのように自分の存在の有無だけがある。自分の置かれている状況は分からない。朦朧とする意識が存在を遠ざける。感じることはただうるさいだけ。
意識が遠のいてはうるさい音に呼び戻される。また意識が遠のいてはうるさい音に呼び戻される。そのとき、薄れてゆく意識に誰かの呼び掛けを感じる。呼び掛けがうるさい。またも遠のく意識に僕は安堵を覚えるがすぐに呼び戻される。「うるさいから、ゆっくり寝かせてくれよ」と声を出したいが声が出ない。それを何度も繰り返しながら、あまりのうるささに徐々に意識が確立されてゆく。
自分の身体がいつもと違うことに何となく気づく。ほとんど停止した思考でゆっくり考える。何かがおかしい。確かにおかしい。僕はここにいるけど、ここに僕はいない。
「誰か!誰か!」
音にならない声を張り上げる。無情にも鼻から抜ける微妙な音にしかならない。すぐに看護婦さんが気付き慌ててドクターを呼びに行く。やがてドクターがやってきて状況の説明をしてくれる。
…いったい僕はどうしたのだろう…
ドクターは喋りはじめた。
とても大きな事故に遭って、この病院の救命救急センターに運ばれたこと。しばらくの間、意識がなかったこと。首の骨を折って、胸から下が麻痺してしまったこと…。
やっと保っている意識に語りかけるドクターの言葉に分かるでもなく、分からないでもなく耳を向けるが、すぐに意識が薄れてまた眠りにつく。
意識が遠のいては、ピコンピコンと刻む音、周囲のうるさい音に意識が戻る。そんな繰り返しをしながら徐々に意識が確立されてゆく。さっきよりはだいぶ意識が戻ったようだ。しかし、何かがおかしい。何かと言わず全てがおかしい。僕は僕?僕は誰?僕は生きているの?僕は死んでしまったの?ここにいるのは誰?
…おかしいぞ。おかしいぞ。普通に声が出ない。頭が動かない。足がない。腰がない。腹もない。首が動かない。頭が固く固定されているようだ。いや、頭に何か金属が刺さっている。かろうじて手はあるようだけど動かない。胸から下が無くなってしまった。誰か!誰か!僕はどうしたんだ?誰か!誰か!僕はどうなったんだ?先生、僕はどうなっちまったんだ…
僕はもう一度ドクターに自分の状況を聞こうとするが、口や鼻から色々なチューブが入っていて、言葉をうまく発せない。看護婦さんが何とか聞き取ってくれ、看護婦さんが説明してくれる。
事故に遭った?それは何となく分かる。
首の骨を折って首が動かないように固定している?身体が麻痺している?
他にも体中のあちこちが傷ついている?
なんだ、そりゃあ。
麻痺だって?足はないぞ?腰もないぞ……?
看護婦さんが足を持ち上げてくれて、足があることを見せてくれた。だけど足があるという感覚はない。足を持ち上げるために掴んでいる感覚もない。足の影をみているだけなのか? 足には点滴やら、色々な計器のコードが繋がっているだけで、僕はいったいどうしてしまったんだ。
意味がまったく分からない。考えても考えても意味が理解できない。疲れたのかまたも意識が遠のく……。
とにかく周りが騒がしい。自分に付いている計器類の音、周りの患者の計器類の音、様々な音と、何の身動きも取れない状態に気が変になり、叫ぶ。鎮静剤だろうか、注射を打たれてまたも眠りにつく。
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心模様(この頃の心模様)
意識が回復する。遠くで声が聞こえたのかどうかは覚えていないけど、ふと目を覚ましたら数々の顔があった。母の顔、父の顔、伯母の顔、彼女の顔。目が悪いしコンタクトレンズは外されているし、意識は朦朧としているから、実際には誰がいたか覚えてない。
事故に遭ったことは意識がない間に擦り込まれているかのよう。目を覚まし、家族や彼女の顔を見ると、僕は無意識にこういう言葉を発する。
「大丈夫だよ」と。
鼻からチューブが入り、口には酸素をあてがわれているから、声にならない声。
「大丈夫」という声は決して音にはならない。けど一生懸命に、自分の状況も何一つ把握できずに「大丈夫」と声を出そうとする。
ほんと不思議なことに、意識のない間に事故に遭ったことは刷り込まれている。ここが病院であると言うことも一番はじめに意識が戻った時点で刷り込まれていた。事故に遭ったと言うことを頭で理解しなくても、自分の置かれている状況が何一つ分からなくても、家族や彼女には「大丈夫」「大丈夫」「大丈夫だから」「大丈夫だよ」と一生懸命伝えようとした。思い起こすと何か切なくもあり、悲しくもある感じで、必死に訴えている。
「大丈夫だから」というのは、無意識ながら、周りを安心させようとしているのか。
本当は、きっと、自分自身で「大丈夫」と言うことによって、今にも遠のく意識に訴えているのかもしれない。危険な状態の続く、自分の身体に訴えているのかもしれない。また、自分自身が『絶対に大丈夫なんだ』という暗示をかけて安心を手に入れたいのかもしれない。
「大丈夫」 「大丈夫」
「大丈夫」 「大丈夫」
何度も何度も繰り返し繰り返して、無意識にそう語ることによって僕は生き残った。