前書き
もうずいぶんと昔の秋の日。
対向車がカーブを曲がれずに僕が走っていた車線へと飛び込んできた。
健康だった僕は一瞬のうちに死線の上に飛ばされた。
その記憶を記録として記した。
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本文「暗闇と白い天井」を読む限りでは淡々と事が運んでいっている感じなんだけど、
実際のところは「多重人格」のような心模様だったと思う。
もちろん平面的な出来事ではないし、多元的なことなんだけど、思考のあちこちが歪み、矛盾だらけの思考だったと思う。
リハビリ専門の病院への転院を考えなくてはならないとき、リハビリ病院の評判を聞き、「もしかしたら」と可能性を考える。
次の瞬間には「治らない」という医者の言葉が脳裏をよぎる。
友人の言葉に希望をいだき、落胆する。「きっと大丈夫」という言葉に、「安易な言葉をはくな」と思う。
奇跡を信じ、また落胆する。 「明日になればどこかが動くかも」そんな妄想ばかり。 その想いは裏切られる。
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健常者の頃は考えもしなかった『死』『車椅子の生活』。
もちろん、『脊髄損傷』が何であるかなんて聞いたことないし、それによって歩けなくなる なんてことも聞いたことがなかった。
『直腸破裂』の危険性も知りっこない。
健康状態と言えば、視力が悪いこととか、虫歯治療行くことがあることくらいで、たまに風邪をひく。
そんなごくごく普通。どっちかというと健康な部類の人間が、気付けばベッドの上で、ただ繰り返す
機械の音に囲まれて目が覚めたもんだから、何がなんだか分からないのも無理はない。
バイクに乗れない身体になって、はじめてバイクってそういうものだと思ったのが 事故に遭った後3年位してから。