雲を眺めながら
大きな通りから一本路地に入る。ずっと変わらなかったいつもの路地が、気付くと次から次へと…、日に日にアスファルトへと塗り替えられていったあの頃。たくさんの便利さを手に入れたかわりに、たくさんの大事なことを失っていった。
昨日の満月の夜に空を眺めてあの頃を思い出す。
そう。あれから30年、35年、40年近くと経過しても忘れてはいない大切なこと。
それは『草むらに埋もれて流れゆく雲を眺める大切さ』だ。
この街は戦後の復興が遅く、感覚的には大人になる頃までは目に見えて敗戦国を引きずっていた。米軍の基地や、米兵の住宅が多く、米兵が多く闊歩する街に僕は生まれ育った。
金網のフェンスの向こう側にはアメリカが広がっていた。あるところは大通りの片側にフェンスがつながり、その向こうは芝生の緑が青々しい広々とした空間が見える。所々にカラフルな屋根の住宅。
あるところは林を抜けると突如フェンスが現れ、その向こうの林の中に所々カラフルな屋根の住宅が見える。
日本人が住む街はどんどん市街化されていったし、同じ市でも外れの方はやはり宅地化が進み、東京への利便性の良さに県外からどんどん人が引っ越してきた。 しかし、フェンスの向こうはいつまでもかわらないまま。日本人が住むフェンスのこちら側も、周囲は割と遅くまで緑が残っていた。そこが僕の遊び場。
大した昆虫はいなかったけど、小クワガタやショウリョウバッタを捕まえて遊んだあの頃。誰かがイタズラに、草の葉と草の葉とを束ねて結んで足を引っかけさせようとした罠に引っかかって転んで回った。前から突っ伏して転んだ先で身体を捻り仰向けになる。仰向けになった土や草の上で、一面に広がった空に見えたのが、それが流れゆく雲だった。土と草の匂いに囲まれて見た空。
20年くらい前に大きく広がっていた米軍住宅が日本に返還された。それをキッカケに街はどんどんかわった。小綺麗なショッピングセンターに、小綺麗なマンション、小綺麗な一戸建て住宅。どこもかしこもバッコンバッコン穴を掘り、崖を切り崩し、ビルが建ち並んだ。どれもこれも似たり寄ったりの無味乾燥な街並み。
ブロックやタイルが敷き詰められて、所々に貧弱な木が一本、二本…。真夏に木陰の役目も為さない、申し訳程度に植えた木が一本、二本。
これがこの街に生きてきた人間が求めていた理想の生活なのか?
米軍基地の返還は有り難いことでも、そこに建てられた街並みはなんなんだろう。折角残っていた緑もなくしてしまっての都市化。
ビルに囲まれて、とても狭くなってしまった空を眺めて、あの頃の匂いを思い出す。
土と草の匂い。それだけではない。この街独特の鉄錆の臭い。
僕はそれを求めて旅に出たくなる…。