2002年頃
- 連鎖 -
ダメ人間隔離掲示板に捧ぐ (山端千夏)
このままにはしておけない…
そうだ。彼奴のせいで何人も…
しかし…、もし失敗でもすれば。
ああ。だがこのままでは、我々はもう、一生…
沈黙が流れる。重苦しい空気が画面いっぱいに広がるのが
誰にも感じ取れた。
やりましょう!
鉛色の暗闇を破る雷光のように、一人からその言葉が発せられた。
その言葉は、皆にまとわりつく虚無感を一瞬で払拭した。
おお!というそれぞれの思いに呼応する叫びが画面から伝わってくる。
そう…やるしかないのよ。
白いカップに入ったレモンティの香りにつつまれながら、
画面を見つめ、女はつぶやく。
だって、そうでしょ…
そして、薄い桜色の唇の端に、微かな笑みが浮かぶ。
いけないのは、貴方よ。
乳白色のキーを女の細い指先が叩く。
画面が紅に染まった。
*
実際問題、どうなんだ?
んだよ、今更、そんなこと…
いや、それはおさえておいた方がいいぞ。
そうだな。この先、どこで同様のことがあるとも
限らないからな。そのためにも詳細を…
同様のことは、そこかしこで起きているんじゃないのかな。
私もそう思うわ。
世の中見渡してみろよ、声と態度がでかいヤツが意味もなく采配をふるっているだろう
ちっ、なんだって…
しかし、誰も最初はそんなことが起きるとは予想していなかったんだから
だって、そんなノリじゃなかったんだぜ
大体、今だってこんなこと、一般的にはクレイジーだろ
だからやっかいなんだ。餌食にされた者にしかわからない巧妙なやり口なんだから
バレないかな…
なんだ、退けてんのか?
いや…そうじゃないけど…
いいんだよ、皆それぞれの事情がある。家族、子供がいるヤツは、計画から抜けろ…
ちょっと待ってくださいよ!じゃあ、オレみたいな子持は、加わる資格がないっていうんですか?それじゃ、あんまりだ!
そうですよ、俺ら、出来るところで一生懸命やってきてるんです。それでも彼奴に烙印を押され、貶められ…。今度はこっちでもつまはじきされたんじゃ…たまらないですよ。
わかるさ。それはココにいる誰もが同じだ。
でも、奥さんや子供さん、家族を巻き込んでいいとは、私も思えない。
そんな…。
ウチのは覚悟決めています!大丈夫ですよ、気丈だし、子供達だって、きっとわかってくれます。
いいのか?
はい。
彼奴だ…総て彼奴のせいだ…
それは、一見なんでもないことだった。
パーソナルコンピューターが、マイクロソフトの戦略に乗って爆発的に世の中に広まり、実質どこの家にもパソコンが家電のように設置されるようになった。
無邪気な市民は何も知らぬまま、コマーシャルで流される魅惑的な世界へと足を踏み入れていく。インターネットというものの本質よりも、そこでの便利さ、享楽への扉、華やかで楽しいイメージ、深層で孤立をしていく人々は、乾きを満たすフレーズに心を躍らせる。それらは、蜜だ。様々な虫を惹きつける甘い蜜。
彼奴のサイトに、一人また一人と、それぞれやってきた理由、タイミングは違う。
しかし、しばし掲示板に留まり、とりとめのない会話を交わしているウチに、
ふるい分けは行われていたのだった。
毎日のように画面上には、親父ギャクや、ブラック冗句、中には真面目な相談等も織り交ぜながらの書き込みが続く。ごくありがちな気のあった者同士のやりとり、通りがかった者の目にだけでなく、実際参加していた者も、それを疑うことはなかった。
しかし、ある日、参加者の書き込みが数件、なんのまえぶれも無く隔離された掲示板へと移動された。
移動された本人達も、また他の参加者達も、彼奴のいつものちょっとした遊びだと考えていた。そうして、その隔離掲示板にも、流れていく参加者が居た。特別の不都合がある訳ではなく、一つ別の掲示板が増えたという認識でいる者も少なからずいた。
それがここ数ヶ月、何かが変わりはじめた。
その掲示板に参加する者を彼奴は「ダメ人間」と呼んでいた。軽口であるので、誰も気にはしていなかった。その掲示板で、何か失敗談を書けば、「おーおまえもか」という生暖かなエールが送られる…その程度のはずだった。
ところが、いつからか、参加者の中の、ダメ人間とは到底思えない、社会的にも自立し貢献している人物までが、ぽつぽつと失敗やハズした行動をしはじめたのである。
え?あの人が?いや、ありえないでしょう、そんな…。
イヤ、本当らしいよぉ。
誰が言っていたんだ?
メールに書いてあったんだって…
そこで終わらないんだよ、それがさ。
ちょっと、その後、事故にあって、入院したって…マジなのか?
ま、まさか!
続きすぎですね。
まあ、そういう時期ってのもあるからな、人間。
あの…、そういえばこの間書いていた彼ですけれどね、今自宅療養中なんですよ。
ええっ!?
話は話を呼び、次第に誰もが何かおかしいと考え始めた。
考え始めたが、あいかわらず掲示板への書き込みは続いた。
おまえが、色々ハズしはじめたのって、いつからだ?
それがですね、あの掲示板に始めて書き込みをしてから、一ヶ月くらい後に腰痛で。
え、オレはさ、やっぱり一ヶ月くらいしてから、スピード違反の切符で、その後2週間して、車の駐禁で…
ああ、続いたよな…点数足りなくて免停したろ?
そうなんですよ、あんなこと、今思うと何やってんだって…。
私、思うんだけど…
何?
彼奴が、私たちから運を吸いあげているんじゃないかって。
ばーか。オカルトねたかよ。
だって…
んなこと言ってたら、キリねーじゃん。
…いや、ちょっとまてよ。
な、なんだよ、おまえまで。
最近、彼奴、やけに忙しがってねーか?
そういえば、仕事が忙しくて、困るとか…
彼奴が忙しくなりはじめた時期と、あそこに参加している連中にささいな不幸が起こり始めた時期…、なあ、重なってないか?
誰もが一瞬黙り込んだ。
ま、まさか…ね。
*
表向きは皆、いつもの他愛もない話題を書き込んでいた。
しかし、その裏では歯車が回り出し、綿密な行動計画がメーリングリストで
進んでいった。
明日。
ああ、明日。
いよいよ、だな。
これで、解放されるのか、俺たち。
そうだ、もう失敗談など書いて、ダメの連鎖を続けることはないんだ。
解放されるのね!
そして、夜が明けた。
彼奴はその日、地方から出てくるというネットの女友達に会いに、
みなとみらいへと出かけることになっていた。
待ち合わせ場所は、横浜美術館に続く並木道。
夕方になると、人通りもまばらとなる。
こねえなぁ…
車いすの男が一人、たばこに火をつけている。
麻痺のある体には、日が沈んでからの温度差は堪える。
たばこで暖をとるように、口にくわえたたばこに手をかざそうとしたその時
後ろから腕が伸び、男の首に巻き付く。火のついたたばこが路面に転がる。
それを踏み消し、吸い殻を拾い上げる人影。
華奢な手が白い布を男の鼻と口に押しつける。
男はさほどの抵抗をするまでもなく、意識を失った。
薄れていく意識の中で、男は振り返った。
あんな…。ごめんな、シゲさん…
待ち合わせた女の声と顔が、霧の彼方へとすいこまれた。
ゆっくりとしたスロープになっている並木道の向こうには
クリスマスの飾り付けがされた街並みが広がる。
さっきまで居た並木道の人影は無く、風が残していった落ち葉が数枚、
路面に張り付いている。
*
その後も、掲示板には相変わらずの失敗談や、親父ギャグが書き込まれ続け、
なにごともないかのような雑談が続いている。
ただ、ひとつ違うのは、そのサイトの運営者のコメントがなくなったこと。
相変わらず…の裏側では、とりとめもない詮索が続いていた。
で、彼奴の家族はまだ何も?
そうらしいわ
なんで?
わからん。
誰か、彼奴の家行ってみたら…
いや、それはまずい、罠かもしれない。
捜索願いくらい出すだろう、普通。
だよな…どうなってるんだ、彼奴の家?
出されたら、出されたで、ドキドキしちゃいますね。
その辺は、大丈夫なんだろうな。
まかせて、どうしたって証拠不十分。
その、根拠のない自信は、どこからくるんだ?
そんなこといったって、おまえ、どうにかできるのかよ。
いや…。
どっちにしても、ここまできたら、俺ら全員、同じ穴の狢なんだからな。
ははは、全然、ダメじゃん… ?!
画面を読む人々の視線が、キーボードを打つ手が、そして息までが一瞬止まる。
もしかすると…これも…彼奴の仕組んだことじゃないのか……。
その後も相変わらず、いやそれ以上の書き込みが掲示板にされ続けている。
新規の参加者も増え、賑わいをみせている。
誰一人、抜けられない。