想いはピアノのように
友人の画家が美術展に出すために描いた絵に「ブラインドタッチ」という題名を付けた。
その画家はキーボードのタイピングが遅くて、ブラインドタッチに憧れていた。
ピアノのように流れるような指使いで、モニターという指を運ぶ場所とは違う場所に文字が並んでいくことが魔法のように感じていたという。
画家が描きたかったその「想い」は魔法にも感じる「ブラインドタッチ」であったということ。それはタッチタイプでもなくタッチタイピングでもなく、ブラインドタッチでしかあり得なかった。
絵画というのは、「絵」そのもので完成されるものもあることでしょう。しかし、ほとんどの場合、画家は付けた題名にも想いを込めて完成された「絵」とするんじゃないだろうか。
「ブラインドタッチ」という作品は賞を取ったらしい。しかし、題名が差別用語と言うことで不本意にも題名の変更を余儀なくされた。
そういえば、ブラインドタッチという言葉は、最近ではすっかりタッチタイプという言葉に置き換わったね。ブラインドという単語が「盲目」という意味もあるからなのでしょう。
でも、ブラインドという言葉は差別的なのかな?ブラインドタッチという言葉は差別的なのかな?
そんなことはないよね。だって差別や侮蔑のために出来た言葉ではないのだし、そもそも差別的な意味合いなんて込められてないのだもの。
キーボードを叩く指使いがピアノのようにも感じるその画家は、流れるように打鍵する音にピアノ曲を聴いていたのかもしれない。そしてその曲を画家ならではの絵画にしようとした。それを差別用語だからと、画家の描いた作品を不完全なものにしてしまう人にさみしいなと思ってしまうのだ。