(19)- 首都陥落 -

 ?2002年頃

  - 首都陥落 -     
   行くべきか戻るべきか    (某賞受賞記念原稿BY こー)


 十一月初旬、他の報道機関が次々とアフガニスタンを撤退するなか、K通信ジャボルサラジ臨時支局では議論が続いていた。白く染まりつつある周囲の山々。冬の訪れ・・・、砂漠地帯に雪とは想像し難いが、四輪駆動車でさえ走行不能になるほど積もるという。

 スタッフは、僕を含めて四人。“いざ”という時に脱出しようにも、南側ルートはタリバン軍に閉ざされ、北側ルートも雪に閉ざされようとしていた。紛争地取材の鉄則である脱出ルートの確保も不可能な状態。反タリバン勢力「北部同盟」によるカブール制圧によって、南側ルートが開かなければ来春の雪解けを待つしかない。事実上、僕らは孤立しようとしていた。それでも、僕らの意見は一致していた。「通信社は最後まで残るべきだ、カブールを見るまでは」。当時、現地の報道陣の合い言葉は「いつカブールが落ちるか」だった。個人的には、他国の記者が残っているのに日本の記者が撤退出来るかという意地もあった。この戦争を真に“中立”に報じれる記者は日本人しかいない、という自負さえもあった。「米軍が今夜にも空爆開始」のフラッシュを世界で最も速く打電した先輩記者の功績で勢いづいていたことも確かだ。

 戦場取材は、その時、その場での瞬時の冷静な判断を求められる。判断を誤れば、最悪の結果は己の死である。「行くべきか戻るべきか」、今回の取材で、何度判断に迫られたことだろうか。

・前線で
 十一月十二日。早朝から助手が慌ただしい。反タリバン勢力「北部同盟」の司令官から「カブール進撃が始まる」という無線連絡が入ったという。とても信じられなかった。明日にも進撃するという情報に振り回されてばかりだったからだ。司令部に出かけ、前線へ行くという毎日。しかし、カブールの前線にはほとんど動きは見られなかった。

 取りあえず、最低限の機材を携行して司令部へ向かう。そこには、既に百人近くの兵士が集結していた。よく知った顔も見えた。RPG7、カラシニコフ突撃銃を担いだ完全武装の兵士たち。日ごろは愛嬌のある笑顔を見せる彼らも緊張の色を隠せない。そこら中に立ち上る熱気、異様な興奮状態、どうやら進撃開始は間違いないらしい。

 我を振り返って、己の装備の不完全さを呪った。発電機、ガソリン、食料なしでは、従軍取材を全うすることは難しい。寝袋なしでは、砂漠の夜を過ごすことも自殺行為だ。今から臨時支局に戻っても、約二時間のロスタイムが生まれる。一度部隊と離れたら合流するのは難しい。戻るべきか・・、雰囲気に飲まれながら冷静さを失いそうだった。その僕の頭上を米軍のB52戦略爆撃機が飛び交う。真っ青な空に白い航跡を描いて。太陽がじりじりと照りつける。喉の乾きを覚えた。

 そんな僕をよそに、兵士たちが車座になり中心に司令官が座った。目を閉じ口を真一文字にして。ざわめきは消え失せ、空気が張りつめる。彼は、ふーっと息を吐き、正面を見据えて言った、「誰もが死なないように、誰もが無事で帰ってこれるように部隊の安全を祈ろう」。聞こえるものは、風の音だけ。少年がその横に座り、コーランを歌い始めた。「アッラー アクバル・・」、変声期前の少年の高い澄み切った声が山並みに響く。一心不乱に祈る兵士たち。荒くれに見える彼らの繊細な一面を見たような気がした。その光景を見つめながら、胸が熱くなった。とても美しいものを見たような気がした。僕は、次第に冷静さを取り戻していった。コーランが終わると、兵士たちは雄叫びを上げながら立ち上がりトラックや戦車に乗り込む。顔見知りの兵士たちが、僕に握手を求めてきた。すっきりとした爽やかな表情だった。僕らも車に乗り込み後に続いた。

 部隊は、カブール方向へと向かった。数キロ進むと立ち止まり、ロケット砲をタリバン陣営に撃ち込んだかと思うと、また前進する。時折、タリバン陣営から撃ち出されるロケットが周囲に着弾する。しかし、兵士たちの顔には余裕さえ感じられた。周囲は地雷原。識別は不可能だ。前を行く戦車のキャタピラの跡を走行するように、助手に怒鳴り散らす。綱渡りをしているような気分、地雷を踏んだらばサヨウナラだ。道は悪く身体は座席に収まらず宙に浮いてしまうほど。パソコン、衛星電話など精密機器の無事を祈るばかり。しばらくして、荷台に積んだ機材をチェックしようと車を止めた。そばの木陰には、負傷した兵士たちが横たわっていた。顔中から汗を吹き出しうずくまっていた。周囲の兵士らは、気にも止めない、どころか苦しむうめき声をよそに談笑している者さえいる。司令官にうながされるまま、負傷した兵士の両足を抱え、がれきと泥の上を引きずり回す。悲痛な叫びが響いた。この場所に病院などあろうはずがない。血糊の跡が、地面に続いていた。


 闇の中、部隊はカブールまで十数キロ地点に迫った。辺りは静寂に包まれていた。ボソボソと話す兵士たちの声が響く。周囲から笑い声も聞こえ、安堵の空気が漂い始めた。今夜はここで一泊することになるのかと思った。焚き火を起こし、一服しようと煙草を取り出す。その時、親しかった司令官が走ってきて叫んだ、「ここを動くな」。目が闇にぎらぎらと光っていた。前方で、花火のような閃光が上がった。タリバンの待ち伏せ攻撃。半円状に陣形を取った彼らが、最後の反撃に出たのだった。

 撤退すべきか否か・・、このまま取材を続行すれば、戦闘シーンの撮影が出来るかもしれない。自しかし、リスクは余りにも大きい。待ち伏せするからには、地雷などの罠があることだろう。閃光はより輝きを増していく。前方での戦闘の激しさをうかがわせる。さらに、後退する兵士の姿が増えてきた。閃光は、徐々にこちらに迫ってくるように感じられた。リスクと効果を計りにかけ、自問自答を繰り返す。


―「地上戦を見れる戦争なんて、これが最初で最後のチャンスだぞ」
  確かにその通りだ。報道規制の厳しい現代では、このような機会はない。しかし、ロケット砲の撃ち合いというのは写真にならないのではないか。
―「ロバート・キャパのような決定的瞬間を撮るチャンスだ」
  いや、この真っ暗闇であのような写真を撮ることは不可能だ。キャパでも無理だ。
―「それでは、お前は逃げるのか」
  いや、俺の撮りたいものは、この程度の戦闘ではなく、首都陥落だ。


 目指すべきはカブールのはず、ここで危険を冒す必要はない。決心した僕は、態勢を立て直すために臨時支局にもどることを決めた。砂漠地帯を一台の車で走ること数時間。臨時支局にたどり着くや眠りに落ちた。

 夜半、ハッと目を覚ました。嫌な夢・・。負傷した自分が現れた。対人地雷にでもやられたのか、腰から下はなかった。外気にあたろうと部屋を出た。「あの負傷した兵士はどうなったのだろう」と考え、空を見上げた。米軍機らしい機体が飛び交っていた。病院はおろか、軍医さえもいないゲリラ戦、重傷はイコール死、を意味する。苦しみのたうちながら死ぬのはご免だ。どうせ死ぬなら一発の銃弾かミサイルで・・・。それで、そこらの炉端に埋めてくれりゃあいい。胸が苦しかった。胃液が逆流するのを感じた。社内では無茶する記者と評されるが、実はそれほど強くはない。嘔吐しながら考えた。明日も、あそこへ行かなくてはならないのか・・・と。


・首都陥落
 翌朝、ガーガーとなる無線に起こされる。「カブールが落ちた」。「北部同盟」の司令官からの連絡。「たった一日で!?」、半信半疑だったが機材を車に詰め込む。宮仕えである以上、危険を伴う取材には上司の指示を仰がなくてはならない。衛星電話は厳重な梱包の中。使える電話は、全て支局員が使用中だった。とにかくカブールへ向かうしかなかった。内心、上司への連絡不備の言い訳も出来たな、とも感じた。

 昨日までは通行不可能だった幹線道路を快調に走る。たった一日で、あちこちに築かれていたバリケードが除去されていた。道中、兵士を満載した戦車を何度も追い越す。路上に転がるタリバン兵たちの死体があった。死臭はない、命を絶って間もないのだろう。囲む群集が、「こいつらはアラブ人だ」と怒鳴り死体を蹴飛ばしていた。タリバンに外国人兵は多い。揶揄する意味で、死体の手には金が握らされていた。この内戦が、米軍がやってくる前から複雑な構造であることをうかがわせた。そもそも、近代では“純粋”な内戦などない。はるか昔から、アフガニスタンは他国の侵略を受け続けている。この戦争を反米、親米だけの立場で論じることは難しい。インターネットで読む今回の報道を読むにつけ、単純な二分論で語られることの多さに辟易したものだ。僕に出来ることは、自分の目で見たこと、耳で聞いたことを伝えるだけだ。

 車を走らせて約二時間。戦車や装甲車両が封鎖する地点にたどり着くと、そこは既にカブールだった。緊張感はない。中心部から様子を見ようと歩いてきた一般市民の姿があった。気が早い女性の中には、ブルカをめくって笑顔を見せる者さえいた。兵士によれば、市内中心部の戦闘は早朝に終わり、現在は治安回復に努めている、とのこと。しばらくは前進出来そうになかった。本社に連絡すべき・・何よりも一報を送らなくては、と衛星電話を組み立て記事の材料を送り込む。ブルカを脱いだ女性、市民が兵士に花輪を贈り歓談する様子・・・など。

 一段落して、外信部デスクが電話口に出た。「社はその場所から撤退せよと命令しています」、事務口調で言う。その瞬間、連絡したことを後悔した。状況判断するに危険な材料は皆無だった。しかし命令を聞いてしまった以上、後戻りせざるをえない。立場を逆にして考えれば、事実上判断を委ねられた以上、上司は「行くな」としか言い様がないのだ。“鉄砲玉”と評される一記者の“無謀な”行動に責任を取らされるのも理不尽である。僕に万一のこと(戦場では十に一かも)があれば、責任の所在が生じることは組織の掟である。歯ぎしりする僕に彼が言葉を続けた、「でも、最後は現場の判断なのですよ・・・・・・」。受話器の向こうで、彼が笑みを浮かべているような気がした。「行け」と言ってくれているのだ。僕の判断を尊重してくれているのだ、と嬉しくなった。彼も、覚悟の上でその言葉を吐いていることは十分に理解出来た。助手をうながし、心躍らせながらカブール中心部へと車を進めた。


 まずは、撮影機材を隠し車を走らせ、窓から様子をうかがう。通常通り営業する商店、街を行き交う女性や子供、何よりも人々の表情に明るさがあった。戦闘も激しくなかったのか、死体も数体しか見当たらない。数十分の安全確認を終え、もっとも人通りの激しい場所で車から降りた。物見高いアフガニスタン人のこと、たちまち百人以上の市民に囲まれる。質問を浴びせてきた。


?どこから来たのだ?
  「日本から来た記者だ」
?何をしているのだ?
  「取材している。北部同盟のカブール制圧を取材している」
?家族は何人いるのだ?


 質問は終わりそうにない。今度は、僕が質問した。
?あなたたちは「北部同盟」のカブール制圧を歓迎するのか?
  「もちろんだ。我々は彼らを歓迎する」
?しかし、かつて彼らによる略奪、強姦など蛮行もあった。それでもか?
  「それは確かにあった。しかし、タリバンよりはるかにマシだ」。皆が一斉にうなずく。
?タリバンよりも北部同盟を選ぶのか?
  「もちろんだ。自由こそが全てだ」。皆が笑った


 ガガガッという戦車のキャタピラが路面を削る音が聞こえてきた。北部同盟の戦車部隊が迫ってきたらしい。その音は、こちらに向かってきた。皆がそちらの方へ顔を向けた。僕もニコンを構える。兵士を満載した戦車の列が見えた。ファインダーの中で戦車が大きくなる。戸惑っているような兵士の顔があった。彼ら自身も不安を隠せないのだろう。さらに、戦車は迫ってきた。心臓の鼓動が高なる。砲塔の先端に、祝福を意味する花輪が見えた。突然、群集の大きな歓声があがった。冷やかすような口笛も聞こえた。その瞬間、ファインダーの中に紙ふぶきのようなものが舞った。呆然と見上げる兵士と民衆、手を振る民衆・・喜びと戸惑い・・混沌。僕が想定していた首都陥落のイメージがそこにあった。紙ふぶきに見えたものは紙幣だった。僕は、興奮で全身が震えていることを感じた。

 翌日、僕の仕事が世界中の新聞、雑誌の一面トップを飾ったことを知った。

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(18)駄文

?2002年頃

駄文   steve

雪が降ってきた。

いつも通りの冬だ。

今夜も例外にもれず忙しい一日だった。
会社の連中はこぞって、そそくさと退社した。
今日はクリスマス・イブなのである。

やるべき仕事が一段落し、
時計を見ると8時を回っていた。

「なんとか間に合うかな。」

戸締りをして会社の外に出ると、
飛び上がるほど寒い。
雪なんて、見るだけで寒いのに、
頬に降りかかろうものなら凍りつくほどだ。

いつもの最後の退社だが、
クリスマス・イブだからといって
格段と寂しさを覚えるわけではない。
なぜかと言えば、
この日はここ十数年、一人でいることの方が
多かったからだ。

もちろん一人じゃなかった時は、
おしゃれなレストランで食事をしたり、
かっこいいホテルを予約したりして、
楽しい時間を過ごしたこともあった。

だけど、なぜかこの日だけは
一人で過ごしてきたほうが圧倒的に多い。

そういう一人の年には何をしていたかというと、
その「何とか間に合う先」へと出向くのである。
全て木製の内装で、
温かみのある裸電球の照明。
程良い薄暗さだ。
歩くと木の床がゴスゴスと独特の音を立てる。
昼間は学生相手のランチやコーヒーを出す
喫茶店なのだが、
夜はまあ、良く言えばアーリーアメリカン調の
パブになる。

ここでは毎年、あえてクリスマス・イブの日に
ライブパーティーをするのだ。

まだそのパーティーに顔を出したことが
なかった時に、
マスターに一度訊いてみたことがある。

「クリスマス・イブの日にライブやっても客、
//来んでしょ?」
「ばか、それなりに賑わうんだよ。」
「なんか、一人で寂し?奴が
___一杯なんだろうなあ・・。」
「お前も同じようなもんだろう。」

よくよく訊いてみると、
その昔、沢山の彼女を持つマスターの
アリバイ作りの代物だったようである。
そのマスターも今や綺麗な奥さんの旦那で、
かわいい3人の子供達のパパだ。

ライブ自体は例年、大体10時頃から始まる。
それから朝方まで、気が向いたら演奏をし、
ビンゴゲームやヨタ話大会をやる。
カップルじゃない初回参加のものは
例外なくステージへ上げられ、
自分がこんな日にこんなところへ
来ている理由を、
どんなに自分が寂しい境遇にあるかを
強調して話をしなければならない。
毎年いる人や、初めての人、
一回しかこない人、
思い出したように来る人、カップル、独り者、
それぞれである。
3年位前だったか、
とても真面目そうな、
どう見ても高校生にしか見えない女の子が
一人で座っているのを見たことがある。
誰とも話をすることなく、
ものすごく興味深げに、
ライブでやっている大昔の古いロックに
見入っていた。
ところがその子の前には、
どう見てもお酒にしか見えない物が
置かれているのである。
そういうところには変にカタブツな
マスターが出したとは思えない。
それどころか誰かがその子に
飲ませているところを
マスターに見つかったならば、
大変なことになる。

「ちょ、ちょっと、き、君、それは、
___お、お、お、お酒じゃないのかね!」
マスターが暴れだすところを想像すると、
つい中年のオヤジみたいになってしまった。

「し?っ!!マスターには内緒だよ!」
「い、いかんよ、オジサンによこしなさい!」
「大丈夫だって!マスターの目の前で
___すりかえたんだから!」
「そ、そうかね。ははっ、、。」

訊くと彼女はベーシストで、演っていた曲を今度、
卒業ライブで演奏すると言う。
あれからその子は見かけないが、
うまくいっただろうか。

そういえば去年はハーレーに乗って、
はるばる100Kmも先からやって来た夫婦がいた。

「わたし、ハーレーって、
___あんまり好きじゃないのよねェ。」
「ばかいうな。
___バイク乗りは最後にここに行き着く。」

そう言いながらも夫人はしっかりと
ハーレールックである。
実はとても仲良さそうな夫婦に
話し掛けたくなった。

「今日はタンデムで?」

「そうなのよ。こんなに寒いのに。」
「車よりいいって言ったくせに。」
と旦那。

「あなたもバイク乗りなの?」
「ええ。まあ一応。」
「来年はあんなオジサン的なバイクの後ろじゃ
___なくて自分でドカティにまたがってくるわ。」
「頼もしいですね。」
「モンスターの900よ。色は赤ね。」

今年はあの夫人、ドカに乗って
やってくるであろうか。
なんだか楽しみになってきた。
ハーレーとドカが店の前に並べて
とめてある光景が目に浮かぶ。

今から急いで家に帰り、着替えを済ませて
バイクにまたがれば10時には店に着くだろう。

何とかライブには間に合いそうだ。

バス停まで大急ぎで走っていく。
あと3分でバスが着くはずだ。
あと少しでバス停だと言うところで、
見たことのあるような女性がなにやら
振りかざしている。
その女性は白い箱のようなものを頭の上へ
大きく持ち上げたと思うと、
ジュースの自動販売機にその箱を
ボカ?ンッと叩き付けた!

な、なんだ?
おだやかじゃないな。
ん?
こりゃ、ケーキじゃないか。
こんなことしたら中身、グシャグシャだ。

急いでいたにもかかわらず、
ちょっと日常的でない光景に立ち止まってしまった。
いやな予感がしながら、
つぶれたケーキの箱から、
恐る恐るその持ち主のほうへ
視線を移すと、、!

「何やってんの!?」
「・・・・・」

それは同じ会社の事務員の西川さんだった。

いやな予感というのは、
全く知らない人でない以外は、
そのまま通り過ぎていくことができないという、
常識的な予感だ。
西川さんの顔は、
ケーキの箱よりグシャグシャになっていた。

それから2時間、そのグシャグシャの顔した
西川さんの愚痴を延々と聞かされた。
彼の部屋に泊まりに行く予定の今日の夜、
急に彼の出張が決まったのだそうだ。

大泣き、大ワメキし、落ち着いたのか
それではごちそうさまと言い残し、
彼女は帰って行った。
家の近くのバス停に降り立った時、
すでに時間は11時近くになっていた。

今の時間から出掛ける気も失せてしまって、
ひとりで飲み直そうと思い、
それまで寄ったことのない、
小さな、
少しさびれた酒屋に立ち寄った。

ぐるりと見回したが、お気に入りの酒が
置いてない。
やっぱりこんなところには置いてないよなと
思いながら、
一応訊いて見る事にした。

「あのう、。」

「なんだね。」

「ボンベイ・サファイヤ、置いてますか?」

「あるよ。」                終

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(16)実感・・・

 ?2001年

実感・・・   こー@アフガニスタン北部ジャボルサラジ

 毎夜、泊まっている宿のベランダから首都カブール方向を見渡す、煙草をくわえながら。
 頭上を飛び交う米軍機。ジェットのうなりはするものの姿は見えない。そして、地上からは花火のように見えるタリバンの対空砲。時折、ズシーンという爆発音が彼方から響く。しかし、砂嵐でクリアには見えない。
 しかし、テレビ中継をみているような気分だった。

 ある日、首都カブールから30キロ北にあるチャリカルという街のバザー(市場)に買い物に行った。ナンとイモばかりの宿の飯にも飽きたので、日本料理を作ろうと考えたのだった。卵を買い、ニラを買い、後はバーナー用のガソリンを買うか、と考えながら雑踏を歩いた。
 その時、数十キロ先の山の方向から「ヒュルルル・・・」という音がした。ロケット砲!?それもタリバン支配地とされる山から。その音は、急速に大きくなり迫ってくる。周囲の買い物客が一斉に頭を抱えて地面に伏せた。僕はすぐに対応出来なかった。長らく戦争から遠ざかっていたから。何とか、彼らと同じように地面に伏せた。砂が口に入った。ジャリッとした感触も気にする余裕はなかった。
 数秒後、「ドーン」という衝撃が地面を通して伝わってきた。頭を少しずつ上げその方向を見やると、百メートル程先から煙が上がっていた。

 第ニ波の攻撃を警戒し、伏せたままの姿勢で数分が経過した。周囲の人たちが立ち上がり始めたのを見て、「これなら大丈夫だ」と判断しカメラを抱え着弾点へ。既にその場所には人垣が出来ていた。人々のざわめき、女の泣き叫ぶ声。人垣を押し分けてみると、そこは先ほどニラを売ってくれた八百屋のオヤジだった。ニコニコと愛想笑いしていた店主のオヤジが横たわっていた。身体に異常はないように見えた。ロケットの破片が頭に突き刺さったという。そして周囲には、数人の怪我人が。「日本人、手伝え」との声で、我に帰りチャーター車のハイラックスの荷台へ怪我人を積み込む。そして病院へ。一枚のシャッターも切れなかった。
 怪我人の搬送も終わり一服していると、「日本人、ちょっと」中年の男が手招きする。そのまま付いて行くと、ある家に連れて行かれた。泥の煉瓦で造られた家。そこは、八百屋のオヤジの家だった。家族と近所の人たちがそろって、オヤジの身体をお湯で清めている最中だった。「日本人、撮ってやってくれ」、家族が言う。家族が両腕でオヤジの身体を抱えて、こちらを凝視した。カメラを構えた。ファインダーの向こうに、彼らの嘆きとあきらめが見えたような気がした。

 「戦争だから仕方ない」、アフガニスタンで良く聞くセリフだ。先日の米軍機の誤爆でも「悲しいけど仕方ない」というセリフを何度も聞いた。
 僕は、ようやく「自分が戦場にいる」ことを実感し始めているのかもしれない。

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