想いはピアノのように

想いはピアノのように

2007-09-13 (木)

友人の画家が美術展に出すために描いた絵に「ブラインドタッチ」という題名を付けた。

その画家はキーボードのタイピングが遅くて、ブラインドタッチに憧れていた。
ピアノのように流れるような指使いで、モニターという指を運ぶ場所とは違う場所に文字が並んでいくことが魔法のように感じていたという。

画家が描きたかったその「想い」は魔法にも感じる「ブラインドタッチ」であったということ。それはタッチタイプでもなくタッチタイピングでもなく、ブラインドタッチでしかあり得なかった。

絵画というのは、「絵」そのもので完成されるものもあることでしょう。しかし、ほとんどの場合、画家は付けた題名にも想いを込めて完成された「絵」とするんじゃないだろうか。

「ブラインドタッチ」という作品は賞を取ったらしい。しかし、題名が差別用語と言うことで不本意にも題名の変更を余儀なくされた。

そういえば、ブラインドタッチという言葉は、最近ではすっかりタッチタイプという言葉に置き換わったね。ブラインドという単語が「盲目」という意味もあるからなのでしょう。
でも、ブラインドという言葉は差別的なのかな?ブラインドタッチという言葉は差別的なのかな?
そんなことはないよね。だって差別や侮蔑のために出来た言葉ではないのだし、そもそも差別的な意味合いなんて込められてないのだもの。

キーボードを叩く指使いがピアノのようにも感じるその画家は、流れるように打鍵する音にピアノ曲を聴いていたのかもしれない。そしてその曲を画家ならではの絵画にしようとした。それを差別用語だからと、画家の描いた作品を不完全なものにしてしまう人にさみしいなと思ってしまうのだ。

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絵の好きそうな顔

絵の好きそうな顔

2007-09-11 (火)

遠方より能を観るために横浜に出てきていたじゅんこと横浜港内遊覧船に乗る。晴れたり曇ったりといい気候だったのが、下船間近になって真っ暗になり雨が降り出す。

小降りを見計らって、山下公園のレストハウスへ行き、建物には入らずに軒先で雨宿りをする。

「君は絵を好きそうな顔をしているね」

唐突に誰かに声をかけられて声のした方を向くと簡易な折りたたみ椅子に座ったおっちゃんがいる。

「君は絵が好きそうな顔をしているけど、絵は描くの?」

もう一度声をかけられて、僕は応える。

「絵は描きませんが、亡くなった祖母がアトリエを持って絵を描いてましたから、絵は好きですよ」

おっちゃんは嬉しそうにあれこれと話しかけてくる。齢71歳、横浜生まれの横浜育ちだそうだ。シャツのボタンを2つ3つ開き、首にはタオル。金のメガネに茶色の中折れの夏のハット。そんな出で立ちのちょっと太めのおっちゃん。

1時間以上も絵の話、横浜の話、釣りの話…。いろんな話を繰り広げてた。新山下の山本釣船店で赤灯台に渡してもらい、堤防に渡ろうとした途端に海に落ちた話。その日の釣果は大きな黒鯛だったこととか。

・・・・

ん?

頭に帽子。太めの顔は誰かに似ている。誰だろう…?

手には画材だけど、釣りの話をして、真鯛ではないものの黒鯛を釣り上げ…。

あっ!

**

8日に上演された横浜三時空。横浜は人や物、文化の往来した場所。そういう場所だから能の詞章の中でも様々な神様が集まってくるんだった。8日には洲崎大神の天太玉命や本牧十二天の神々、海神であるえびす様が来ていたっておかしくないじゃないか。

まだ齢71。顔や肌も若々しいから、きっとおっちゃんはえびす様見習いね。今風に中折れのハットを被っているけど、顔立ちも伝えられているえびす様を若くした感じだもの。こりゃ間違いないね。

「やっと気付いたか」と、おっちゃんの笑い声が聞こえるかのようだぜ。

ところでおっちゃん。「絵の好きそうな顔をしてる」って、えびす様だからお見通しなのですか? いーや、実はテキトーに声をかけただけだろー!(笑)

きっとまた、そこいら辺で会いそうね。会ったらえびす様でしょー?と聞いてみよっと。

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夢で逢いましょう

2007-08-08 (水)

「やあ。久しぶり!」
「元気だった?」

西麻布の交差点で久しぶりにバイク仲間であるマナブとユミコと出会った。
三人が三人、待ち合わせをしたわけではなく偶然の再会だった。

「どこかにご飯食べに行こうか」
「適当に歩けばお店あるでしょ」

日が落ちても明るい西麻布の交差点から一本路地へと入る。
路地を一本入っただけで首都高速の喧騒が消える。

路地を少し歩くとその先には大きなネコがこっちを見ている。
ネコのいる方に歩き、だいぶ近づくとネコは先に進む。そしてネコは振り返る。

「付いて行ってみようか?」

ネコのいる方へ歩いていくとネコは路地の角で振り返る。

「迷子になっちゃいそうね」とユミコが言う。

「大丈夫だよ。どっかしら広いところへ出るだろ」

路地を曲がるたびに街は暗くなっていく。

「東京でもこんな街並みがあるんだね」

「そういや、なんか懐かしい街並みだね」

何度も角を曲がったけど、きっと広尾の方に向かっているはずだ。
それなのに古い下町風情の街並みばかりになっている。

ネコはまたも路地のところで振り返る。
ネコを追って路地を曲がる。

車も入れない広さの細い路地の左右に、古いアパートや長屋が裸電球の街灯に照らされている。

僕たちは一体どこに迷い込んでしまったんだろう。

気付くと大きなネコの姿はなくなっていた。

どこからか
「こっちを見てごらんよ」
そう聞こえた先を見て僕たちは息を呑んだ。

視界にはビルなどのない広い空間が広がり、眼下にはところどころにあるだけ灯り。
丘の上、足許は崖になっている。

「一体ここはどこなんだ…」

一歩後ずさりして振り返ると一軒の店の灯り。
ホッとして店に入る。

??

店に入るとおかしいところは何もない、カントリー調の洒落た店。

「なんだったんだろうね」

「ま、いっかぁ」

「久しぶりの再会にかんぱ?い」

??

夢から覚めた。

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紫陽花の坂道

2007-06-01 (金)

「サチ」
「明日の土曜は空いてる?」
「紫陽花でも見に行こうか」

梅雨の鬱陶しい日が続いていた。天気予報では明日は晴れるらしい。

「僕は明日は午前だけ学校があるので、午後からなら大丈夫」

「鎌倉だったら明月院か…、成就院か…、長谷寺か…」
「じゃあ成就院へ行って、それから海に行こう」

サチは学校がないから先に鎌倉に行ってるという。

「じゃあ14時には長谷に着けるから、長谷駅の改札のところで」

翌日は朝まで雨が残り、昼前には雲も取れ空はすっかりと晴れた。
学校が終わり、東京駅から駆け足でスカ線に乗り込む。
鎌倉で乗り換えて長谷駅に着いたのはまだ13時。

…ちょっと早すぎたなぁ。
…BananaMoonでコーヒーでも飲んでようか。
…それとも長谷寺でも行って時間を潰すか。
…よし、長谷寺へ行って、長谷寺の紫陽花も見て来ちゃおう。

改札を下りてすぐの道を右に行き、観音前を左に入る。
山門をくぐり、参道を上がっていく。
たくさんの小さなお地蔵さんが所狭しと並び、色々な種類の紫陽花の花が咲いている。

参道を上りきる少し手前で僕は息を呑む。
小さな小さなお地蔵さんの前にしゃがみ込み、手を合わせる女性の姿。

「サチ……。」

ハッとした顔で目が合う。サチはすぐに目をそらす。

僕も隣にしゃがみ込み手を合わせる。

「行こうか」
「上に行けば海が見えるよ」

サチの手を強く握って参道を上る。
たくさんのお地蔵さんに囲まれてゆっくりと上る。
たくさんの紫陽花に囲まれてゆっくりと階段を上る。

「ほら、紫陽花の向こうに海が見える」

雨上がりの紫陽花の葉には水滴が光ってる。
紫陽花の向こうには海が太陽の光を受けて輝いている。

葉から水滴が一筋流れ落ち、振り返るとそこにはサチの笑顔があった。

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夜を抱きしめて

2007-05-31 (木)

電話が鳴る

「もしもし…」

電話の向こうからは消え入るような声

    「ん?和美か?」
     「どうした?」

「今からうちに来られない?」

窓の外は遠くで雷が鳴り、今にも雨が降りそうだ。

    「行けるけど、今すぐ?」

「きゃっ! 今すぐに。お願い!」

    「もしかして雷が怖いのか?

「……うん…」

    「じゃあ、10分…んー、5分待ってて」
     「すぐに行くから」

雨の中、僕は和美の家に駆ける。
走れば5分はかからない距離だ。

    「和美、来たぞ」
     「まったく弱虫だなぁ」

雷はどんどん近づいてくる。
青い光がはっきりとしてきて、光った少し後には雷鳴が鳴る。

    「まだ遠くだよ」

僕は部屋の灯りを消す。

「何するの?」

和美は消え入りそうな声で言った。
肩を抱いて窓際に連れて行く。

    「眺めると綺麗なんだよ」

部屋の灯りをすべて消して窓際で寄り添う。
怖がらないように身体を包み、頬をぴったりと付ける。

ピカッ。バリバリバリバリ!

「いやっ!」
     「だいじょうぶだから」

低い雲から放たれる青い稲妻に二人の影が重なる。

    「和美…。」
     「目蓋を閉じて…」

二人ははじめてキスをした…。

**

じゅんこのリクエストで雷に関するもの。今は文章書きのリハビリ中なので、さくっとすらすら書くことを目標に。こういう超ショートが10分くらいでコンスタントに書けるようになったら、プロット練って徐々に長くしていきたいと思います。

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RAIN-DANCEがきこえる

?2007-05-29 (火)

「さようなら」
「いつまでも元気で」

そう言って僕はバイクのエンジンをかける。

軽井沢は低い雲が垂れ込めていた。
心を映すように雨が降る。

R18を東に向かう。
碓氷峠に入ると雨は霧に変わる。
右、左、右、左。
ズルッ、ズルッ。
濡れた路面をタイヤが掴んでくれない。
ズルッ、ズルッ。
それでもアクセルを開ける。

前走車に追いつきアクセルを緩めブレーキをかける。
一瞬気が緩む。
前走車は左にウインカーを出して減速する。

「さんきゅー」

気を引き締め、シフトダウンして追い抜きにかかる。
濃霧の中、後ろについて走りたいのだろうけど、すまんね、先に行っちゃうよ。
タコメーターの針が跳ね上がる。

ズルッ、ズルッ。
タイヤが滑りながら右に左にと切り返す。

前走車に追いついてはアクセルを緩める。
ここはもう秋の装い。緑のトンネルは色を赤や黄色に染めようとしている。
霧の中にうっすらと緑、黄色、赤が混じる。樹々は風に揺られ大粒の雨粒を落とす。

前走車は左にウインカーを出す。

「さんきゅー」
「すまんね」

左手を軽く挙げてアクセルを開く。

悲しいとき。それはいつも雨。
心も雨に打たれてゆく…。

高崎インターを左に折れる。
右に大きくアールを取りチケットを受け取る。
合流車線を一気に加速する。
甲高い音が響き、連続した音でシフトアップしてゆく。
アクセルを開け。開け。どこまでも加速しろ。
160…180…230…

前走車…ブレーキング…シフトダウン…加速…

180…210…230…235…240…245…
タイヤの設置感がなくなる。ゆらーゆらー。
上体を少し起こし風圧で減速する。

風圧で雨粒はシールドの上を上に左右にと流れてゆく。
涙も流れ去ってゆく。痛みも流れ去ってゆく。

川越…三芳PA…
雲が薄くなってきた。

所沢を越える。
雲の隙間から日差しが見える。

明日はきっと心に降る雨もやんでいる。

**

ふと書き殴ったただの描写。とくになにがどうというのはありません。

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偶然

偶然   1994年頃作

気持ちの良い青空の下、海岸線を走る。目を三角にして走るにはもったいない陽気に 僕はすり抜けもせずにゆっくりと車の流れに乗って走る。

遙か前方の信号が赤になって、先頭には観光バスが数台並んで信号待ちをしているのが見える。 さすがに観光バスの後ろをのろのろと走るのも疲れるので、僕は信号待ちの車の列を広めの路肩を使って先頭にでた。

ちょうど先頭に出ようとした瞬間に信号は青になった。僕はゆっくりと観光バスの前に出て、 ゆっくりと海岸沿いの国道を走る。後ろの観光バスと適度な車間でのんびりと走る。

次の信号もまた赤だ。ゆっくりと減速し、停止線に止まったときに後ろの観光バスから軽くクラクションを鳴らされた。 バックミラーを眺めたその瞬間に、バスのガイドさんが乗降口から身を乗り出してきた。

「久しぶり?!」

一瞬誰だか分からなかったけど、すぐに思い出す。

**

関越高速が高崎のあたりまでしか開通していなかった頃、どこだかのパーキングエリアで僕に声をかけてきた女の子。 「バイクのナンバーが同じ?!」と言って声をかけてきた。彼女のVTは確かに僕のTZRと同じ「35 36」だった。

雨の関越高速で、些細な偶然をネタに缶コーヒーを飲みながら彼女は言った。

「わたし、バスガイドやっているから、もし見かけたらバスから大声で呼ぶね」

「偶然を楽しみにしてるよ」と言い残して二人別々のスピードで走り去った。

**

まさか本当に大声で呼ぶとはね。バイクから降り、僕はバスに近寄る。偶然の再会に握手してお互いの無事に喜ぶ。

後ろに続く観光バスから軽くクラクションを鳴らされる。信号は青になっている。急いでバイクに戻りバイクを走らせる。

次の赤信号まで観光バスの前を走る。次の赤信号で

「次の偶然はいつだろうね」

と彼女が聞く。

「いつか」

という僕の言葉に彼女は笑っていた。

**

バイクの思い出を回想しながら僕は考えた。

バイクから降りてしまった今、次の偶然はあるのかなぁ・・・と。

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「さよなら」を言いに

「さよなら」を言いに   (1993年頃作)

 気持ちが押さえきれなくなって僕はバイクに跨る。最低限の荷物だけをリアのシートにくくりつけ走り出す。

**

 「わたし、軽井沢に行くの」「軽井沢が終わったら青森に帰るの」

 篤子から、そう聞いたのは夏が始まる直前だった。

 篤子が藤沢の店にやってきてもう1年近く経つ。夏の間だけ営業している軽井沢の店からやってきて、 また次の夏が来たら、軽井沢に行ってしまうことも知っていた。

 しかし、思いがけなかった言葉は、軽井沢が終わったら、藤沢の店に戻ってくるのではなく、 仕事を辞めて実家のある青森に帰ってしまうと言う、その言葉だった。

**

 残暑もだいぶ和らいだ、心地の良い夕方の風を全身に受けて僕はバイクを北上させる。

 篤子が藤沢に来てからの1年近くの間にあったことを色々と想い出しながらバイクを走らせる。

**

 篤子が藤沢の店から去るときに、僕は「さよなら」が言えなかった。

夏が終わったらまた藤沢に戻ってきて、それまでのような楽しい日に戻る気がしていた。  8月も終わり、9月にはいると、もう藤沢には戻ってこないという現実が重くのしかかる。

**

 山梨県のR20号を走っている頃に、辺りを夕闇がつつむ。

 R20から清里へと向かう道へ別れると、車は一気に減る。 街灯のない道は自分のバイクのヘッドライトだけが頼りになる。 どんどん高度が上がり、気温は冷え込んでいく。  まだ9月だと思って軽装で出てきた僕は、寒さに耐えかねてレインウェアを着込む。

 真っ暗な暗闇に覆われた山間の道をハイビームが照らし、甲高い音を響かせて一気に上っていく。

**

 「何故?」 僕にとって楽しかった日々だけど、篤子にとっては楽しくなかったのか?

 そんな単純な理由じゃないことだって百も承知だけど、二人して笑って過ごした日々に別れを告げる その真意が知りたかった。

 篤子が決めた結論に、僕は笑顔で「さよなら」を言いたかった。

**

 軽井沢に着く頃にはすでに真夜中になっていた。店も閉まった後で、僕は暖の取れる場所を探す。 ストーブが必要なほどに冷え込む中で、かろうじて風を避けることのできる場所を探して一夜をあかす。

**

 開店と同時に僕は店にはいる。篤子の驚いた顔に僕は精一杯の作り笑いで応える。

 真意なんて、もうどうでも良かった。僕は篤子に

 「どうしても 『さよなら』 を言いたくて」

そう言って店を後にした・・・。

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夏のチョコレートパフェ

2007-03-27 (火) 13:24

季節はまだ早いのだけど…。

茹だるような暑い夏の日。
時々無性にチョコレートパフェを食べたくなる。
もちろん、チョコシロップがかかったバナナパフェでも構わない。
パフェを求めて、ぱふぇー、ぱふぇー、ぱふぇ食べるーと灼熱の太陽の下の道を行く。

パフェを置いてるお目当てのカフェに行き扉を開けると…
んー、冷房の風が心地いい。

でもね、心地いいのは一瞬なの。
効き過ぎの冷房の中、パフェ食べたくないー。
寒いー、寒いー。冷房利きすぎで寒いー。
結局、ホットコーヒーを頼んでしまう。

よーし、夏が来る前にパフェ食うぞー。
ぱふぇー。ぱふぇー。

と言いつつ、ちょこちょこ食べてたりするの。むふっ。

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暴風雨 2(恐怖)

暴風雨 2(恐怖)   (1993年頃作)

 走る電車の窓の外は雨が降っている。朝の天気予報では台風が日本列島に上陸する コースを進んでいることを話していた。夜には暴風域に入るとも言っていた。

 浮き浮きする気持ちを抑えられないまま、今日一日は仕事も手につかぬまま僕は 家路へと急ぐ。

 家に着くとすぐさま「177」に電話をして台風の進路を確認する。

 「午後3時発表の天気予報をお伝えします。大型で強い台風17号は今夜半にも静岡県に 上陸する見込みです」「周辺の最大風速は・・・」

 受話器を置いた僕は気持ちが昂揚する。

 大きな深呼吸をゆっくりと繰り返しながらバイクの側に立ち、一つ一つ確実に各部を チェックしていく。タイヤの空気圧、ライト、ウインカー、ブレーキシステム。
  一つのチェックミスが命取りにつながる。

**

 江ノ島から湘南海岸に出た頃で辺りは闇につつまれる。防砂林越しに波の音が強く響く。 気持ちはさらに昂揚する。気持ちとは裏腹に、ゆっくりと確実なマシンコントロールをして 僕は走る。

 どこで台風に出遭うだろうか。 西湘バイパスは強風のため通行止めになっている。 国道1号に迂回して僕は西へ進む。

 時折覗く海岸のテトラポットに高く波しぶきが上がる。

 激しい雨がヘルメットのシールドをたたく。巻く風がバイクを右へ左へと揺さぶる。 普段なら完璧に防水してくれるこのレインウエアも今日はまるで役に立ってない。

 ゆっくりと箱根を上り、一寸先も見えない箱根峠を越える。

**

 沼津ではすでに夜中を迎えようとしている。 雨はさらに激しきたたき、風はバイク もろとも巻き上げようとしている。

 海に沿った松並木の通りから僕は左に曲がる。 ここはかなり高い防波堤のように なっていることを僕は知っている。街と海とを仕切っているその防波堤の上を車や バイクで走れることも。

 僕はそこにバイクを乗り上げようとするが危なくて乗り上げられない。バイクを 風の少ない物陰に置き、手すりづたいに僕は防波堤に上がる。

 強い風に波が巻き上げられて、細かく、しかし強く塩辛い水にまみれる。 風は容赦なく吹きつける。「あう、あ、あ、あ、あ」呼吸が苦しい。雨と塩水が 口にはいる。

 風の音、雨の音、波の音、すべてが弱ければ「調和」した音になろうが、 今は地響きのような音、轟音が聞こえてくるだけ。

 海はどこからなのだろう。人の拳から頭の大きさぐらいまでの石でできている 海岸は、波に飲み込まれている。

 恐い、恐い、恐い。 手すりを強くつかむ。 「あ、あ、あ、ああ、あ」 「あう、あう、ああ、あ、あ、あ、ああ、あ」

 そのとき僕は地球に同化した。

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